霊山に、太陽の光が掛かり。
まぶたを薄く開いた、霊山の主である神龍は、物憂いに、誰かに――、という定めなく、囁いた。
――〝我が、愛しい聖龍の子どもたちよ〟――
人界の汚濁に染まった鈍い者たちによって苦しめられ、哀しみの闇夜に呑まれ、
もがき苦しんでいるのだろう。
二人の愛は、壊され失ってしまった目に見えぬものを取り戻していくだろう。
それまでは――、
神龍の溜め息は霧となり、霊山を覆っていく。
――その獅子は猛虎として、愛しい聖霊の神鳥とともに、灰となり。神鳥と番(つがい)の存在となるため、
生まれ変わり。
祝福により天界より降り立つ。その試練の途中にいて、番を求め、嘆きの十二年を生き。
その想いは、番を引き寄せ。
心を奮い立たせ、ともに試練の路へと進みはじめた。
雪と氷雨により厳しさと豊かさを与える冬を越え。
若葉が芽吹く。春も過ぎて、
春に咲き誇った桜の花弁が、首ごと落ち。
新緑や常緑が世界を取り戻した初夏の手前の時期に、その人物は竈門家を訪れた。
竈門家の軒先にて、
「そうですか。本当に……。出産後、彼女は直ぐに亡くなられたんですか……」と、男は呟いた。
富岡家の親戚で使いの、その男は、炭十郎の妻で自分の遠縁である彼女の訃報は知っていたのだが、実際に確かめた訳ではなく半信半疑で、今回の使命を機会に確かめたところ、そうである、と、炭十郎から聞かされ。
項垂れて嘆きたいところ、使命があるので堪えて。背筋を伸ばして、炭十郎に問い掛けた。
「〝あの御方〟の、乳母の方は? お館さまの御親戚ですよね?」
今回の使命は、乳母についても大事な確認である。
もう居ないなら、急いで代わりを探さないといけない。
「仲良くしてます。後妻になりました」
「そうですかぁ〜」
「前の妻も私と同じように虚弱で、私より年上という事もあり、不安が多かったのでしょうね……。自分に何かあったら、後妻を、と言い遺してまして。今の妻も、良い人ですよ」
炭十郎は、静かに微笑んだ。
――喪われた彼女の霊魂と流れる生命の水は、今でも自分と彼女の子どもを満たしている。
受け継がれ、改革していく。
生命の基盤を、彼女は産み出したのだ。
啓示なのだろう。
そうして、神の宿命により課せられた自分のもとには、これから、今世では数年しか生きられない子どもが届けられるのだろう。
彼女の子。それ以上の存在は在ってはいけない、と。
この運命には、逆らえない。
その子らの今世での僅かな人生で、自分なりに父親でいること、黄泉の国でも来世でも父親として寄り添おうと想い。
伝統と約束しか伝えらない、たった一人の子の将来を憂いそうになったが、不思議と穏やかな気持ちが心身に流れ込む。
(ああ、あの件があった……)
気づいて、炭十郎は語った。
「……――それに、炭治郎の件も。最初は驚きましたが、納得する事にしました」
炭十郎が軽く溜め息をついたので、使者の男は、はて、と首を傾げた。すると、
炭十郎は、家の近くに生えた木の根元にある、切株に刺さってる斧を指差した。
「ああ、例の……、斧の?」
「そうそう。斧の」
見た目は、どこにでもある斧だが、斬れ味も良く、持ち手の部分には、斧を製作した者の家名が刻まれている。しかし、やや擦り切れて、家名が読みにくくなってしまっていた。
「しかし、誕生の祝いに、斧ですか……。どういう一族なんですか? せめて、薬草を切る道具とかでしょうに……」
「悪気はないかと。次男の方が〝そう〟である。という、主張らしいですよ。私も、生活と、炭治郎の安全のために使わせていただいてます」
「――あ、あの書物の? あの話?」
「どうにも、それっぽいです」
あの書物は、炭治郎にも読ませる予定だが、なかなか理解は難しいかもしれない。
「熱心な御守りですね」
「綺麗な簪(かんざし)が良かった。と、御本人が仰ってました」
「御相手の方に会ったんですか?」
「ええ、会いました。顔は、よく見えませんでしたが……。気難しそうな方でした」
「それは、それは……」
炭十郎と使者の男が苦笑混じりに笑っていると、使者の男の背中から、赤ん坊の、ぐずる声が聞こえた。
あやしながら、おんぶしていた赤ん坊を抱きかかえた使者の男は、その赤ん坊を、炭十郎に手渡した。
「……――女の子ですか?」
「禰豆子と言います」
炭十郎の腕の中で、禰豆子という名の娘は、小さな両腕を伸ばして、何か掴もうと掌を握ったり開いたりしていた。
微笑みながら炭十郎が手ぬぐいを渡すと、禰豆子は、満面の笑顔を炭十郎に返してくれる。
「この子。〝あの御方〟と、同じように母親が亡くなり……」
「分かっています。今の妻も同意ですから」と、
この子の家族は、血縁者は、どうしているのだろうと、炭十郎は問い掛けた。
「この子、禰豆子の、お兄さんの方は?」
「義勇ですか? 妾腹の異母妹とはいえ。別れがたいのか、昨日から顔を見ようとしなかったです」
「反対してたようですね」
「反対したところで、どうにもならない。引き取とる事も難しい」
使者の男は苦々しそうにしてから、掌の指先で禰豆子の額を撫でて、微笑んだ。
「禰豆子の件の知らせは、長男である彼だけで……。お姉さんにも気を遣ってるのでしょうね」
自分も、妻を亡くした直後のとき、炭治郎を親戚に預けるか躊躇い。いずれ、元々ある自分の厄が更に変質すると分かっていても、指示通りに、炭治郎の〝あの人〟の親戚からの話も断ってしまったので――、
気遣い、という。禰豆子の件も分かるような気がした。
だが、名を口にすると伝わりやすい家柄ならば、炭治郎の〝彼方の、あの人〟が手段を選ばないで探し出そうとする過程で、何かしらの重荷を受けるのだろう。
――この子、禰豆子の兄は、大事な存在を幾度となく奪われるのかもしれない。
「顔を見せない条件になりますが……。炭治郎の誕生月に訪れて、隠れて様子を確認していいです。是非」
「ありがとうございます。義勇を向かわせますね」
「使命でも……幼子を手放すのは、酷なことだ」
「長年、無惨の対策で薬草により身体を替えてきた一族の血筋とはいえ。この子に、課せてしまうんですよね……。こんな幼い子に……」
神の行いというのは、時に運命の路に繋がる対象者に過酷な重荷を背負わせるようだ。
しかし、乗り越えられない試練は与えない、と言い伝えられている。
――なにより、
両目を開いて笑む、禰豆子の瞳からは、力強く純粋な生命の息吹きが窺える。
「きっと。優しい子に育ち。たった一人の存在を――……、〝あの御方〟を守る存在になりますから」
その言葉は、
〝使者〟の男か、
〝 〟の父親か、
音としては現世のものでないと、雷音に書き換えられ。
誰にも分からないものにされた。
◇ ◇ ◇
それは、真っ白な――、
冬の日のことだった。
〝 〟の陰に在って形となった鬼人に家族の生命を奪われ。
生き残った妹も、鬼とされた。
――あの日と同じ。
なにもかも真っ白な世界に、一つの黒が現れた。
「お父さん。これ、何?」
炭治郎が齢六歳になった誕生月のときに届いた〝それ〟は、漆黒の小さな箱だった。
漆塗りと呼ばれる物であり、妹と弟が両目を見開いて、珍しそうに見つめていた。
自分の掌にも乗るくらいの、
その箱を炭治郎が手に取ると、少し重みを感じられた。
「お前への贈り物だそうだ。大事にしなさい」と言われたので、
炭治郎は首を傾げた。
いったい、誰からの贈り物だろう。
「……――俺への? 贈り物?」
炭治郎が訊ねても、父の炭十郎は微笑むだけで、理由を語らなかった。
だけども、炭治郎が捉えた――父親の表情の奥にある感覚と、匂いには、哀しみと優しさが混ざった不思議なものがあった。
「箱、開けてごらん」
そうして、炭治郎が箱を開けると、
そこに――……、
◇ ◇ ◇
あと数日だったのに――。
なぜ、どうして、と。
どんなに後悔したことか。
彼が産まれた時に、自分の想うようにすればよかった、と。
囲炉裏の前に置かれた座布団に、胡座をかいて座った隻眼の男は、くすぶる火を見つめながら、息を吐いた。
「……――綺麗な黒色と、〝赤〟だ」
なんで、こんな事になったのだろう。
この里もそうだが。自分が所有の里が、必ず安全と言い難いというのも分かっている。
それでも、手元に置いて育んでいたら違ったのだろう。
でもそれは、違った関係になってしまう事もあるから。
(あいつは、痣を気にしてないが……)
痣も、身体の傷も――。
彼の里や、自分の里のように閉鎖されてきた世界では、〝それ〟を見た他者からの言動が本人に与えられる機会は少なく、鬼殺隊として生きて往くために、
気にしてる余裕も、
理解することもなかったのかもしれない――。
しかし、
今後のためとはいえ。そうなるのか。
「無駄に傷つきやがって……」
傷ついて、それでも、また傷つくことになる。
そんな他者からの言葉に落ち込むほど、弱くはないと分かっているが――……。
男は、囲炉裏に突き刺してあった、先端に布を巻いた細長い鉄の棒を手に取り、掻き回した。
空気の流れで、一瞬、
火花が散り、
炭に、火が宿った。
薄っすらと、熱い透明な空気の布地に、想い人の顔が浮かんだように想うが、
幻であり、本人ではない。
「生きていたから。……って、それだけでいいってのかよ」
なんでコイツが伝えてくるんだ、と、気に食わないが、冨岡義勇からの話によると、
傷の他に、戦いでの後遺症がある。
今後、どういった別の変化があるのかも分からない、と伝えられた。
「必ず――……」と、言い掛けて、
その男、鋼鐵塚蛍は立ち上がった。
◇ ◇ ◇
――青空を飛んでいた鬼蜻蜒(オニヤンマ)が境界線の杭に留まり。こちらの様子を伺っていたので、炭治郎は微笑んだ。
途中まで乗せてくれた行商の荷馬車は、もう遠くまで行ってしまったが、彼らを見送るように、片腕を上げて手を振り。
それから、炭治郎は荷馬車に背を向けて、
道を歩き出した。
――他の荷馬車が往来した痕跡だろうか、道の先まで轍が続いてる。
前日の大雨によってできた、道の途中の水たまりに、先程の、オニヤンマが飛んで近づき。水鏡に映った、綺麗な青空を壊すため、羽音で水面に波紋を創り出していた。
一瞬の、平和が崩れ。
同じ時間軸ではない空が、多次元に存在してる蟲たちの帰還を迎えるためだろう。異空間を拡げていた。
以前と違って、背中に背負った荷物は重さが変わってしまったが。
過去も、現在も、未来も、
自分たちは、この先も変わらず――《何か》を背負っているのかもしれない。
鬼が世界から消え。平和なのか。と、言うと、
根っからの善人も在れば、悪に染まっても葛藤の末に己で正そうとする者。
なんで分からないんだ、という者。
臆病な者。卑怯な者。
どうやっても、悪から抜け出せない者。
今も、そういう者たちは、この世界で産まれ、生きている。
――たとえ、鬼に変わる闇が拡がって往こうとも。
彼らは――、
ともに、生きていた。
「……――禰豆子たち。本当に、大丈夫かな……?」
道の途中で立ち止まって、炭治郎は溜息を吐き。
肩に掛けていた鞄から巻手紙を取り出すと、それを開いて読んだ。
先日。めでたく、炭治郎の妹の禰豆子と善逸が結婚して夫妻となり。
生きられるだけ生きようと――。
今日までの一年と数ヶ月、自分なりに、戦いの後遺症からの回復や訓練を続けてきたのだが、
(……いいのかな?)
と、開いていた巻手紙を閉じて。仕舞い。
ゆっくりと、歩き出した。
――「私、お兄ちゃんの事、負担とか思ってないからね。いつでも帰ってきて大丈夫だから」――
――「いつでも帰って来て! ってか、早くぅ帰って来ておくれよぉ、早く帰って来た方がっ。だってあの人だよ、炭治郎、死んじゃうかも〜!」――
――「逆になー。俺、そっち行くかもしれないから。気になる奴いるんだぁ」――
戦いが終わって故郷に戻り。亡くなった家族の弔いや、新しい家族との生活は、愉快で楽しく、騒がしく。
しばらくして、落ち着いた頃。
鋼鐵塚からの手紙が届いたのだが。
以前のように、感情的な手紙ではなくて。どことなく、情緒的な内容の手紙もあった。
もっとも。感情的な手紙の時は、大事な刀を折ったり紛失したりと、扱いの悪い自分もいけなかったと言えば、そうなのだろう。
しかし、どうにも最近の手紙が、
「うーん……?」
(……――これ、なんか?)
「……あれ? 今までの……、手紙……?」
そういえば、刀の件とは関係のない、数回の手紙には、どことなく、鋼鐵塚の心配してる様子もあった気がする。
例文通りの手紙とは、違ったように思う。
「やっぱり……。鉄珍さまが亡くなったの。鋼鐵塚さんも落ち込んでるのかな?」
刀鍛冶の里は玉壺と半天狗の襲撃後に、一度、移転になったが。
鬼の居ない世界の、現在は、というと。襲撃を受けた里は新しい名となって、里の再開発を行い。
世間一般にも里の技術を含めての公開。観光地とすることに決まったそうだ。
しかしながら。里の再開発の完成を目前にして、
近隣の河で泳いでいた、里長の鉄珍が溺れ。なんとか助かったが――、それが原因なのだろう、鉄珍は病に罹(かか)り。亡くなってしまったそうで。
一報が届いた真夏に向かおうと思ったが、鋼鐵塚からの返事は――〈お前は気にしなくていい。夏の終わりに〉という片言だけの手紙が届き。
かえって、心配になってしまい。
すると、小鉄や鉄穴森からの手紙が続いて届き、
「鋼鐵塚さんは、内心では落ち込んでるんですよ」
「里に来ませんか?」などなどの、手紙も届き。
きっとこれは〝来て欲しい〟という誘いだろう。
それに、以前――……、
襲撃を受ける前の、刀鍛冶の里での短期養生で、一時的とはいえ、気力や体力が回復した事もあり。
新婚らしいこともしたいだろうに、自分の世話で行い難い妹夫婦たちから、しばらく、時間と距離を置くのも悪くないと。
来年の秋まで、鋼鐵塚の里で過ごす事を決め。
鋼鐵塚からの返事は無いものの、小鉄と鉄穴森からは歓迎の返事を貰っていた。
「鉄珍さまは、鋼鐵塚さんに辛口だったけど、大事な方だっただろうから。……里に着いたら、励まさなきゃ」
どうやって励まそうかな。
と、考えながら、炭治郎は、ゆっくりと歩き出した。
◇ ◇ ◇
数日前の早朝に故郷を出て、移動。
それから、鋼鐵塚の里までは、想像していた以上に――遠かった。
「〝隠〟の人たちは、〝これ〟を移動してたのか……」と、今更ながらに関心してしまう。
だけども。里のある所が、わりと有名な地方であった件に炭治郎は驚き。今度は鼻を塞がれてないので感じる、温泉の独特な匂いからして、この道の先に、里の入口があることを確信した。
新しく、舗装された道があるらしいのだが、
「できれば、それとは違う道を来て欲しい」と、小鉄や鉄穴森に勧められていたので、そちらを行くことに。
里に向かう、その道の途中。
道の端に建つ――、背丈の小さな石柱を見付け。
炭治郎が近寄ってみると、石柱には里の名が彫られてあった。
石柱の手前には、石台と質素な花瓶が置かれて在り。
花瓶には、野に咲く花が生けてあった。
腰を屈め、
そっと、炭治郎が花に触れようとすると、
「炭治郎さん!」
覚えのある少年の声が聞こえたので、そちらを振り向き。背筋を正すと、
いまだ仮面を取ってない。
その少年に、「小鉄くん!」と、手を降って微笑んだ。
久しぶりに会った小鉄は以前と変わらない様子で、先導してくれる。
「ちょっと、背丈……伸びた?」
「それ……。見かけでは背丈が伸びたか分からないって、意味ですか?」と、小鉄が歩む足を止めたので、
炭治郎も歩みを止め、焦ったように言った。
「いや、そんな事は……」
小鉄の機嫌を悪くしてしまったのかもしれない。
「あと数年経ったら、僕は炭治郎さんの背を超えて、鋼鐵塚さんに成りますからね!」
「え!? なんで、鋼鐵塚さんが基準?」
「背丈です!」
その様子に、炭治郎は楽しそうに笑い。
小鉄も、「もう〜。僕、本気なんですからね〜」怒った様子ではなく。
二人は、道を歩き出した。
少し歩くと――。道沿いに並んで生えた、背丈の大きな樹木に出逢う。
すると、小鉄は立ち止まって、樹木の上を見上げたので。炭治郎も、立ち止まり。
樹木の上を見上げる、と。
隙間を開けて並んだ樹木と樹木の枝と枝が、上空で、手を繋いだように絡み合ってて。
まるで、門のようになっていた。
〝門〟のようだ。――ではなく、
これは、〝神聖な門〟だ。
(……――鳥居みたいだ)
きっとこれは、鳥居なのだろう。
樹齢は定かではないが、太い幹からして、名のある存在と思われる。
それぞれの樹木の幹には、鉄製の釘により鉄板が打ち付けられており。
〝龍斗〟と〝海斗〟と、鉄板に刻まれている。
「〝双子の樹木〟ですよ。隙間の、この道を通ります」
思いの外、〝双子の樹木〟の隙間は広く。
大荷物でも通れそうなほどで、小鉄の動きに合わせて炭治郎も続いて、樹木の鳥居を通った。
もとの、二人が歩いて来た道や、その道にも繋がっている鳥居の手前の道とは違い。
鳥居の先にある道は、白い砂利が敷かれてあって、
道を往く者が転ばないように、草木の根は取り除かれ。道は、背丈の高い木々の森林に続いている。
樹木の葉も茂ってるので、薄暗いのかと思ったら。
――木もれ陽が落ち。
涼しくもあれば、温かな心地になる。
ゆっくりと深呼吸して、炭治郎は新鮮な自然の空気を肺に送り込んだ。
修行や稽古などで身についた、肉体と精神力の維持は失われることなく。今でも炭治郎の生命力となって離れずにいる。
と、不意に、
近くの茂みから、
《ガサガサッ!》という、物音がした。
「〜〜っ、こ、小鉄くん! なんか、今、音がしたけど?」
「たぶん、大丈夫でっす。さ、早く先に進みましょう」
小鉄の様子からして、熊かもしれない。
きっと、大きな熊なのだろう。
刀も持ってないので、早く移動した方がいい。
小鉄が足早に森の奥へと向かうので、炭治郎も後を付いて行き。
しばらくして、ちらりと後ろを振り向く、と。
先程の鳥居から、だいぶ離れてしまっていた。
「……小鉄くん。里に向かわないの?」
「そちらは後ほど。まずは、鋼鐵塚さんの御屋敷に向かいます」
「鋼鐵塚さんの御屋敷?」
鋼鐵塚の御屋敷。と言われて、炭治郎が思いつく家といえば、以前、玉壺の襲撃に遭ったとき、彼が居た家屋のことだろうか。
「えーと……。新築の家」
「新築?」
あの時の家屋は破損が酷く、里の再開発に合わせて、建て直したのだろうか。
「以前のときの――」と、炭治郎が問い掛けようとして、
「ああ、あそこ」
炭治郎からの問い掛けに気づいた小鉄は、言っていいものかと悩んでいるのか、首をかしげ、
「あそこ、アレ……。あそこは、仕事用です」
そうして、小鉄は懐から掌に収まるくらいの小さな本を取り出して、本を開いて確認してから言った。
「国外や他の言い方では……、〝アトリエ〟とか〝工房〟というらしい、とか?」
「仕事用?」
「――鋼鐵塚さんの御屋敷が、鬼ごときに見付かる訳ないですよ。見つかったのは〝里での仕事用〟ですからね」
見付かる訳ない。とは、どういう事だろう。
「僕たちも、彼の、〝そういう〟側面を頼りにしていますから……。あの時は、本当……」
すると。小鉄は、どんよりとした空気をまとい。
暗い声色で「あの時。本当に死ななかったのが、不思議だ……」と、言った。
「あの仕事用の家は壊して、そちらも新しくなりました。鋼鐵塚さんの御屋敷からも近いです」
二人が森の奥へと歩いて行くと、次第に、足もとの草むらが明るくなっていき。
不思議に思った炭治郎が足もとを見ると――、
光る花があり。花の、茎の部分として、簪にも似た箸のようなモノが地面に突き刺さっていた。
「あ。ここから……。さらに、〝コレ〟あるんだった。……あの人、どんだけ仕掛けてるんだ?」
小鉄は〝それ〟を一つ手に取って、引き抜き、左右に軽く振ってみせた。
「炭治郎さん。足元のそれ、〝印(しるし)〟です。夜道では、灯りにもなります」
花粉のような光が空中に四散して――、花にも似た形の〝それ〟は形を成すことを止めて、崩れていく。
「……――〝あの御方〟である……炭治郎さんは、この〝印〟より先に入れますから。僕と、鉄穴森さんも」
その感覚は、
目に見えないもので、自然と起こった。
炭治郎は、小鉄の言葉の全てを聴き取った筈なのに、小鉄の言葉の内容が解ったようで、
判らなくなってしまったが。
本人が気付くことはなかった。
「〝印(しるし)〟? 限られた人しか、先に入れないの?」
「知りたいですか?」
「できれば、知りたい」
「そうですか……」
(あれ……、いつもと、なんか違う……? 炭治郎さんの方に?)
花粉から変化して、残り香のように散っていく――。
微細で淡い光は漂いながら、炭治郎の方に引き寄せられ。
幻想の中に、別の炭治郎が居た。
(え――……?)
小鉄は口を開きかけ、息を呑むように口を閉じてから。
その光が消えると、喋った。
「まず事情説明。鋼鐵塚さんの指名もあり――……。僕は、炭治郎さんからの質疑応答の返答や、世話係りになりました」
「そうなの?」
「はい。でも、全てに応えられるわけではなく。たぶん、言えない件は言葉を失います」
(なんだろう。これは……、この感覚は、なんだ……?)
首元に、汗をかいてることに気付いた小鉄は、それを手首で拭う、と、炭治郎から感じられるものについて、今は考えない方がいいとして、炭治郎の返答を伺った。
「……構わない。分かる範囲で説明して」
思わず、鬼殺隊の時のような口調になってしまったが、小鉄は気にした様子もなく、説明を続けた。
「ざっくり……分かりやすい説明は、〝守りの術〟かな? 〝双子の樹木〟も、そうですから。でも、……〝あれ〟は、エグい……」
「〝守りの術〟……?」
炭治郎の問いに、小鉄は頷いた。
「血鬼術とは違い?」
「鋼鐵塚さんは、鬼っぽいところありますけど。血鬼術とは違います」
いったい、どんな術なのか気にはなったが、どうにも、小鉄が説明できないようなので、炭治郎は質問を変える。
「あの人……、鋼鐵塚さんは何者なんですか?」
「鋼鐵塚さんは、鋼鐵塚さんですよ」
「そうだけど…」
「……――――」
「小鉄くん?」
「……――まだ、応えられないですが。いつか時がくれば分かるかも、ですから」
「そうなの?」
「……そうですよ」
やや、納得できないながらも。どこか、珠世の屋敷の時と似た術の感覚がして、悪いものではないのだろう。
鬼が居なくなった世界であっても、
悪や、あやしいもの。
野盗や、人喰い熊のように、危険な動物は居る。
人間社会の中に溶け込んで、人と変わらない姿でいながら――人を喰らっていた鬼と対峙していた炭治郎は、
仮面の向こう側にあって分かり難いが、真摯に見つめてくる、
小鉄の視線に、
――今は、気にしない事にした。
◇ ◇ ◇
「発行日・2024年7月25日」
「A5サイズ、24ページ」
「印刷・夢工房まつやま」
PR
コメントする
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
最新記事
(11/30)
(09/06)
(08/20)
(08/17)
(08/17)
P R